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【tanisunnのちょっとした食文化紹介】コッペパン


コッペパン 画像『おいしいパンの百科事典』より画像引用)
こんばんはm(__)m

最近ではボリュームのあるサンドウィッチやメロンパンにバニラアイスをサンドしたデザートパンが流行していますが、日本で昔から親しまれているサンドや元祖デザートパンと言えば「コッペパン」だと思います。よく給食では余った「きなこ揚げパン」を奪い合ったものですね(笑)

ですが、よくよく考えてみると「コッペパン」ってどんなパンなのでしょうか。味も形もそれほど特徴のないこのパンは何故「コッペパン」と呼ばれるのか。そこら辺を少しご紹介してみようと思います。


【『コッペパン』の名前の由来】
 まず、「コッペパン」の名前ってどんな由来があるのでしょうか?
「コッペ」という言葉は日本語ではあまり聞かれません。若者のことを「カッペ」とか呼んだりするのは聞いたことありますが、「コッペ」とはどういう意味なのか。

実は「コッペ」という言葉はフランスパンの一種「クッペ」または「クーペ」が訛った言い方だというのが一つの有力説です。

クーペ 画像
『レ・アントルメ国立』より画像引用)

こういった形のパンを「クッペ」や「クーペ」と呼びます。一度はパン屋で見たことがありますね。フランス語で「切られた」という意味があり、上部が切られていることからこの名前がついています。見ての通り、ラグビーボールのような紡錘形をしているのが分かりますが、コッペパンもその形が似ていることから名前が付けられたとされています。


【『コッペパン』と田辺玄平 ~コッペパン誕生~】
コッペパン(正確にはコッペパンの原型であるクッペ)が最初に日本にやって来たのは1865年と言われているようです。江戸幕府がフランスの造船を呼んだときに一緒に伝来したそうな。日本の歴史の中でも動乱と称される「幕末」を目前にして、日本に渡来したんですね。

ただ、これはクッペのお話であり、コッペパンの誕生はあと半世紀ほどあとのことになります。コッペパンが誕生したのは現在も店舗が現存しているある老舗の創設者によるあくなき情熱によるものなのです。

田辺玄平 『全日本丸十パン商工業協同組合』より画像引用)

そのコッペパンの父と言われるのが現在の丸十パンの始祖、田辺玄平(1874-1933)。

 田辺玄平氏は現在の山梨県甲州市の出身。どのような経緯かは存じ上げないけれど、明治34年(1901年)にアメリカへ渡り、そこでパンとの出会いを果たします。胃腸の弱かったという彼には、負担の少ないパンとの出会いは「食のカルチャーショック」だったよう。日本でパン食を広めるため、アメリカでパン作りを習得し明治43年(1910年)または44年(1911年)に日本へ帰国しました。

帰国してさっそくパン屋を開業した田辺氏だが、当時の日本には冷蔵庫というものが無く、パン作りに欠かせないイースト菌の管理ができませんでした。そこで私財を投じて東京下谷黒門町に食パン製造工場を建て、ドライイーストの研究に励みます。

そのとき田辺玄平はパン食普及のために三大宣伝スローガンをかかげます。

一. 食糧問題の根本的解決はパン食の普及にあり。
二. パン食の普及はパン製造法の改善にあり。
三. パン食に慣るるは国民の義務なり。

これらを掲げた彼は大正4年(1915年)についに「玄平種」の開発に成功します。それまで団子のような食感の日本のパンを、現在普及しているふっくらとしたパンにしたのです。言い換えれば、塩味のみのハード系ヨーロッパ式製法からふっくら柔らかいアメリカ式製法になったということです。これはパン業界に画期的影響を与えたと言います。

そして大正8年(1919年)には、黒門町の工場が手狭になったため麻布宮村町(現在の東京都港区麻布)に工場を新設し、機械を導入することで大発展を遂げた。パン製造法を学習するため全国各地から若者が集い、さながら製パン塾の様相を呈したそうです。

ここからはネット上で調べる限りでは、歴史の足取りがよくつかめないためわからないのだが、実は田辺はこのとき噂を聞きつけてか陸軍から「携帯に便利で腹持ちも味も良い」携帯食を作るよう要請された。そこで同年、つまり大正8年に陸軍用携帯食として「コッペパン」を開発しました。


高木兼寛 肖像『Wikipedia』より画像引用)
海軍軍医 高木兼寛氏

おそらくではあるけれど、当時の日本軍の間では「脚気」が流行っていたことが一つの理由であろうと思うのです。大正期には結核と並ぶ二大国民病と呼ばれた脚気は、明治期にも問題になっていました。のちにカレーを軍食に取り入れて脚気を防いだことで有名な海軍軍医であった高木兼寛は、すでにお米の食べ過ぎによるビタミン不足が原因と判明していた脚気を洋食をとり入れることで防ごうとしたのです。

その解決策の一つが「パン食の普及」。海軍では明治期にすでに取り入れたことがあって、一度は脚気を防ぎ成果も上げたのですが、そこは昔の日本人の性というかなんというか、「こんなもん食えるかーーーー!!!!」的な感じで兵たちが大反対(笑)港に帰ってきた軍艦の周りに、パンがプカプカと浮いていたそうな。

だったら、陸軍はなぜパン職人の田辺玄平氏に要請したのか?同じ結果になりそうなもんですけどね(笑)陸軍でコッペパンがどうなったのかはちょっと分かりません。採用されたのは確かですよ!!


【給食にコッペパン登場!】
時はさらに進み、次に見るのは終戦後。

昭和25年(1950年)、アメリカ合衆国から小麦の援助を受けることで再びコッペパンに注目が集まります。

学校給食『学校給食』より画像引用)
実はこの年にようやく現在と同じ様式である「完全給食」が完成したんですね~。「完全給食」というのは給食の内容がパンまたはお米におかず、ミルクが揃っているものをいいます。

給食の歴史まで載せてるとブログ記事の作成時間が大変なことになるので(すでに3時間経過(笑))、また今度にしようと思います。

・・・というか、正直疲れた(笑)


ということで、「コッペパン」について歴史的に非常に簡単に見てきました。みなさんも学校給食で初めてコッペパンと出会った方が結構いらっしゃると思いますが、昔懐かしいコッペパンにも長い歴史と一人の偉大な人物の情熱が込められた素晴らしい日本の文化の一つなんだと私も調べながら分かりました。

てな感じで、今日はここまで!!ありがとうございましたm(__)m


[参考HP](全サイト 2015年6月現在)
(1)『由来の広場』
(2)『語源由来辞典』
(3)『学校給食』
(4)Marujuホームページ
(5)丸十山梨製パン(株)HP
(6)全日本丸十パン商工業協同組合HP
(7)『栄養士のまんが』
(8)『おいしいパンの百科事典』
(9)『レ・アントルメ国立』
(10)Wikipedia
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